現場のアイデアで活用が前進!
―兵庫県―
尼崎市教育委員会
新型コロナウイルス感染症の影響による学校の臨時休業では、全国の各自治体がそれぞれの事情を抱える中、急な対応を迫られた。教育用ICT端末が10人に1台と環境整備に遅れのある尼崎市では、臨時休業中の学びの保障をどのように行ったのだろうか。
尼崎市教育委員会
〒661-0024
兵庫県尼崎市三反田町1丁目1番1号
TEL 06-4950-5654
ICT環境整備の遅れ
尼崎市は兵庫県内で最も大阪寄りに位置し、県下第4位となる人口約45万人の中核市である。
41の小学校、17の中学校を含む計71校園を有する同市。規模の大きさから、学校のICT整備には大型の投資が必要となる。これまで教育分野では特に中学校の生徒指導上の課題が重要視されてきた経緯もあり、ICT環境整備への着手は遅れていた。
小学校では教室までの有線LANと大型テレビ、タブレットPCが各校40台となっているが、中学校では教室までの有線LANのない学校がほとんどで、大型テレビもない。学習者用PC1台あたりの児童生徒数は10人となっている。
2018年にICT環境整備に着手し、翌年から調達に向けて具体的に動き始めた。GIGAスクール構想も後押しとなり計画の調整を進めていたところ、思いがけない事態となった。新型コロナウイルス感染拡大の影響による学校の臨時休業である。
現場の先生のアイデアが光るICT活用を
3月、臨時休業が始まってすぐに各学校に対して行った聞き取り調査の結果、ほとんどの学校で当該年度の学習内容の授業が完了しており、学年の総復習の段階に入っていた。このため、そこまでの危機感はなかったという。
ところが新年度に入っても授業再開の目処は立たなかった。ICT環境が十分に整わない中で、子供たちの学びをどう保障するのか。大きな壁に直面することとなった。
「子供たちや保護者が何を一番に求めているかを考えた」と話す松本眞教育長。全国の学校の様々な取り組みに関する情報を収集し、刺激を受けたという。「ドリルやワークシート等の課題に加えて、学習への興味関心を引き出し、学習をサポートするようなコンテンツが必要と考えました」
手始めに、家庭学習の支援ツールという位置づけで、民間のサイト等から学習動画を集め、教育総合センターのホームページ上にリンク集を公開した。中学生・高校生には受験への配慮も必要とのことから、個別学習用のコンテンツを導入し、自主的な学習を促した。
教育委員会独自の動画の作成も検討したが、労力に見合う質を保証できないことや、現場の創意工夫を阻害する恐れがあることを懸念し、見合わせていた。
そんな中「各学校の創意工夫を大切にしたい」という松本教育長の思いに応えるように、学校から「授業動画を作成・配信したい」との相談があった。相談を受けた学び支援課と学校教育課の連携の下、作成した動画の公開場所としてファイル共有クラウドストレージシステムを利用することを決定した。
また、動画共有サイトやテレビ会議システムを自由に使えるよう、セキュリティ要件の緩和を実現。学習に限らず、直接顔を合わせられない子供たちとのコミュニケーションツールとして活用されることを期待した。
動画の作成やサービスの活用方法を各学校に任せた結果、各校の教員が子供たちのために工夫をこらし、メッセージ動画や、学習支援動画を作成・公開したり、テレビ会議システムを使って教育相談や朝の会を行ったりするなど、学校のオリジナリティあふれる活動が見られた。
「学校や先生方の個性や魅力を画一化してしまうようなことはしたくなかった」と話す松本教育長。「どう使うかは、学校ごと、先生ごとに違っていていい。子供たちの一番近くにいる担任が中心となって、家庭学習を支援することが重要だと考えました。創意工夫を凝らして新しいことに挑戦してくださった現場の先生方に感謝しています」
現場を後押しするムードづくり
ICT活用を「現場の創意工夫に委ねる」上で教育委員会が担うべき役割について、松本教育長は「挑戦する先生方を後押しするムードづくり」と話す。
動画の共有やテレビ会議システムを活用することに関して、「通信環境のない家庭はどうするのか」「公平性を欠くのではないか」といった意見が出ることはもちろん予測していた。
Googleフォーム™を利用して行ったアンケート調査の結果、95%の家庭で通信環境に問題がないことがわかった。この結果をどう捉えるか。松本教育長は教育委員会の幹部に向け、「通信環境のない家庭が5%あるから活用はできないという考え方は絶対にしないでほしい」と強いメッセージを発した。「95%の家庭には通信環境を負担してもらい、環境を整えられない一部の家庭に対しては、端末を貸し出すなど支援をすればよい。とにかく現場で挑戦しようとしている先生方を応援してほしい」と周囲の理解を求めた。
また、現場の優れた取り組みを「GP(グッド・プラクティス)だより」として全校に向けて配信。学校間の情報共有にも力を入れた。
学校の管理職には、足並みをそろえられない取り組みに消極的になってしまう向きがあり、その結果、取り組みが校内の一部の先生で止まってしまうというケースも多い。教育委員会が率先して「GPだより」に取り上げていくことの大きな狙いの1つが、管理職の意識を変えていくことだ。
「教育委員会が積極的に応援している姿勢を見せること、具体的な取り組みをGPとして共有することで、全ての管理職に『関心をもたないとまずい』という意識をもってもらうことを狙っています。まだ全ての学校を巻き込めているわけではありません。時間をかけてやっていくしかないと思っています」
学び支援課の桐山勉氏は、「ICT機器に堪能な先生は、多くはありません。それでも他校の取り組みに感化されて『同じことをやってみたい』と声を上げてくれますので、私たちがサポートを行っています」と話す。現場の士気に応えるための体制も整っている。
実際の取り組み事例
事例1
市立大庄中学校では、全校生徒を対象にテレビ会議システムを利用した個人面談を実施した。この取り組みの発案者でもある、同校教諭の吉田満先生にお話を伺った。
「5月に入っても休業が続き、学習面以外に生徒たちの心のケアの必要性を感じ始めていました。そこでテレビ会議システムを使った教育相談を提案しました。全職員の合意をとることは難しいかと予想していましたが、反対の声はありませんでした。現状をなんとかしなければという思いは共通していたのだと思います」
最初の段階ではテレビ会議システムを使ったことのある教員は17人中2人だったが、操作に堪能な教員がサポートする形で全ての生徒を対象に2度の面談を実施した。スクールカウンセラーの力も借り、質問項目や注意すべきポイントなどをリスト化するなど、学校全体が一丸となって取り組んだ。
新年度ということで教員と生徒がほぼ初対面のケースもあり、1度目は打ち解けた会話が難しい部分もあったが、2度目で悩みを話してくれた生徒もいたという。
授業再開後も、不登校の生徒とオンラインでの面談を続けている教員がいるなど、思わぬ広がりも見せている。
事例2
市立立花北小学校では全教員が児童に向けたメッセージ動画を作成した。こちらも、取り組みの発案者である畑彩香先生にお話を伺った。
「私は1年生の担任です。児童とは入学式で顔を合わせたきりで、しかもマスクをつけていたので、まずは子供たちに自分の顔を覚えてもらおうというところがスタートでした」
それぞれの先生が撮影したデータを畑先生が取りまとめ、編集やアップロードの処理を行った。このサポートもあって、全教員が動画を作成することができた。
「子供たちがランドセルを早く背負いたがっているという保護者の声も聞いていたので、ランドセルの使い方、時間割のそろえ方の動画なども作りました。平常時にはこういった内容をここまで詳しく指導する機会はないので、よかったですね」
撮影は通常の教室を使って行った。特に、先生の顔も教室の雰囲気もわからない1年生にとって大きな安心材料となっただろう。
また、教育委員会がGoogleフォーム™を使ったアンケートを実施したことを契機に、畑先生は学校から保護者へのアンケートにこれを使うことを校長に提案した。従来通りプリントを配付したが、そこにQRコードを掲載し「プリントへの記入でも、インターネットでも、どちらでも可」としたところ、8割以上の保護者がインターネットを使って回答する結果となった。
「当初、『本当にうまくいくのか』と半信半疑の先生もいたのですが、いつもなら2週間待っても回答が得られないことのあるアンケートがすぐに返ってきたことへの驚きもありましたし、集計の面でもとても楽で、これは業務改善につながるねという話になりました」
今後は、学級通信をホームページに掲載することや、不登校の児童とのオンラインでのやりとりもできればと考えている。
「GPだよりを始め、取り組みに対する『いいね』という雰囲気はとても心強く、アイデアを実行に移そうという気持ちを後押ししてくれます」と畑先生。
学び支援課の瀧本晋作氏は次のように話す。「吉田先生も畑先生も、ご自身がICT活用に長けているということに加え、しっかり学校全体を巻き込んで取り組んでくださいました。素晴らしいことだと思います。一方で、一部の先生が提案をしても学校全体での取り組みには至らなかったケースも多くあります。授業が再開したとはいえ、今後も情報発信を通じた現場の意識改革や、技術面でのサポートを続けていきたいですね」
先を見据えて着実に積み上げを
今回の臨時休業はかなり特殊な状況ではあったが、これからも不安定な状況が続くことが予想される。「貴重な学習時間を少しでも有意義なものにすること、どんな状況でも学びを保障することが私たちの責務」と語る松本教育長に、具体的なビジョンを伺った。
「関係者全員が、ICT活用を”学習指導のベース”として認識しなければならない時期がきています。ICT担当かどうかも関係なく、全ての指導主事、学校管理職にもそういう姿勢が必要です。児童生徒が1人1台の端末を持つようになれば、教師に求められるICT活用指導力はより高度なものになりますから、その意識の差がもたらす影響は今後ますます大きくなると思っています」
ハード面の整備とともに、関係者の意識改革や、ICT活用指導力の強化が急務となる。
また、将来的な教育データの利活用も視野に入れ、学習データは市の情報システムに先駆けてパブリッククラウドを利用する設計を構想している。整備の進捗とともに最大限の活用ができるよう、着実に環境整備を積み上げつつある。
いま使える物を最大限に活用して新しいことにチャレンジする。その精神は、現場の先生方の中にもしっかり共有されているように見えた。今後、それを後押しする力、賛同して共に課題に向き合おうとする力がより一層大きなものになることで、各学校の先生方の個性やアイデアを生かした様々な取り組みが広く実践されることが望まれる。
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